<西暦2001年12月07日 更新>   

  〜 HANAPYの散策路 (Vol.2) 〜

  山に関係あることないこと、勝手に書き綴ります。また、ページの更新情報も表示します。
 (このページのご感想は、
”落書き帳”へどしどし記入してください。お待ちしております。


(87) 12/07 ウィルス対策
 お恥ずかしながら、自宅のパソコンには、これまでウィルス対策をとっていませんでした。しかし、このところニムダやアリズなどといったウィルスが急速に拡散した事例もあり、さすがにウィルス対策(ワクチン)ソフトを検討していました。昨日(12/6)コンビニで、ウィルス警備隊というソフトを購入しインストールしました。何故このソフトかというと、価格1980円(コンビニ専用価格)と安いこと。韓国では評価の高いハンファという会社が製作し、日本でも今月から売り出したものです。韓国ではトップシェアでもあるとの事で、新聞や雑誌でも話題になっていました。早速ウィルスチェックをしましたが、発見されず一安心。とはいえ、今後も定義情報のアップデートや定期チェックが必要ですね。また、これまでも気をつけてはいましたが、不審なメールは開かずに削除する、信頼性の不明なファイルはダウンロードしない、などの注意が引き続き必要です。関連する事として、先日は国際電話の発信をしない手続きをしました。近々、ダイアルQ2についても同様の手続きもしようと思います。

ページ更新のお知らせ:「美濃加茂の米田白山 ’01秋」のページを追加しました。


(86) 11/25 米田白山(美濃加茂)
 このところの晴天続きはすごいですね。毎日が雲一つ無く晴れ渡った展望日和です。もっとも、晴れ過ぎているために空気が濁り気味で、すっきり見渡せるという程でもありませんが、遠くの山々も確認できるだけの透明度は維持しているように思います。
 11月23日(祝)は、やはり朝から良い天気でした。兼ねてから訪れてみようと思っていた、美濃加茂市下米田地区にある白山(274m)に行ってきました。ここは、岐阜県の治山事業として平成10年度までに整備された、東山森林公園「下米田さくらの森」の一部にもなっています。公園内には、グラウンドやバーベキュー広場などもあります。白山の登山口は、公園の休憩所などがある場所よりやや南側にありました。広い駐車場があり、朝8時頃でしたが1台もクルマはありません。正面に登山口と書かれた標識があり、階段が続いています。そこを登ると高圧線の鉄塔があり道は分岐しますが、右が白山展望台とあります。しかし道は下り?何故か舗装路に出ました。左が展望台とあるので進むと、舗装路が突き当たりになり、また山道の登りが始まりました。後でわかったのですが、この舗装路は、私がとった入口よりさらに南側に別の登山口があり、そこから続いていました。クルマは進入できないようになっています。さて、山道に入ったものの、良く整備された広い道で、ジグザクに緩やかな傾斜で高度を上げるように付いてます。どうも、公園整備で新しく作った道のように思えます。山の北西側にあたるため、日陰になってあまり汗をかかずに登れます。高度を上げるにつれ、北西側の展望が開けていきます。足元には東海北陸自動車道の橋脚部(工事中)が見えます。また北側にはときおり御岳が見えました。山頂部手前でまた分岐がありますが、展望台は右とあるのでそちらへ。途中、デジカメで写真を撮りながらゆっくり登ったのですが、登山口から20分程で展望台に到着しました。
 木製の展望台は、美濃加茂市街を一望できる西側を向いています。その先に鳩吹山や猿啄城も見えます。遠くには瓢ヶ岳なども見えますが、加賀の白山は確認できませんでした。北側には納古山が間近で、その右手には御岳も見えています。その右は自らの山頂があって遠望を遮っており、東側は見えません。南側には樹林の間に可児市街が見えますが、あまり開けてはいません。やはり美濃加茂の展望台という感じでした。ここで朝食などをとって休憩。容易に登れる場所であるためか、柱や壁には中高生のものと思われる落書きで満たされています。微笑ましいと言うべきかどうか、よくわかりませんが、山であるという気持ちはやや失せてしまいました。休憩を終えると山頂部手前の分岐へ戻り、「反射板」と記された逆方向に進んでみました。明らかに展望台は頂上ではなく、その方向こそが頂上に続いて見えました。こちらの道は、最初ススキで遮られていましたが、やがて立派な階段に出ます。そこを登ると巨大な反射板はありました。これは中部電力のもので、マイクロ波の反射に用いるものということですが、何のために使っているのかは知りません。その先にまた分岐があり、右がすぐに白山頂上でした。ちなみに左は尾根道が続いていて魅力的ですが、今回は行きませんでした。頂上は樹林に囲まれていますが、二等三角点もあり、傾き朽ちかけた「米田白山274m」という表示板も木に掛かっています。ここで私は「米田白山」という名称を初めて目にしたので、以降そう呼ぶことにしました。この山行中、一人の人とも出会わず、まったく静かな時間を過ごす事が出来ました。もっとも、西側に見えていた鳩吹山を望みながら、あの山頂では展望が開けているのだろうなと、ややうらやましく思ったのも正直なところです。


(85) 11/18 そしてまた鳩吹山
 前回の鳩吹山で、ビデオ撮影に不満を残していたので、次の好展望の機会を狙っていたところ、11月18日(日)がまた素晴らしい好天となりました。早速朝からビデオカメラと三脚を持って鳩吹山に向かい、真禅寺口から山頂へ。やはり雲一つ無い青空が広がっていました。ただし地上からは水蒸気があがっており、透明度が良いという状態ではありません。それでも白山、槍ヶ岳、乗鞍岳、御岳、中央アルプス、北岳、間ノ岳、恵那山と、おなじみの山々がすべて肉眼で確認できました。そこで今回は、しっかりと三脚をセットして撮影開始。時の経つのも忘れて、1時間半程居すわってしまいました。途中、多くの人が入れかわり立ちかわり訪れます。中には、間違った山座同定をする人があるのですが、指摘すべきかどうか迷いながら今回は見送りました。テープが終了したのを合図に撮影終了し、下山しました。後で確認すると、前回よりはるかに安定した画像(当たり前ですが)に、チョット自己満足。新しい山行目的を手にしたように思います。一眼レフカメラのように、PLフィルターを使用すれば、遠くの山をもっとくっきりと撮れるのではと感じました。

ページ更新のお知らせ:「鳩吹山真禅寺ルート ’01秋」のページを追加しました。


(84) 11/18 それでもまた鳩吹山
 11月3日(祝)は例年「展望(晴れ)の特異日」と言われますが、今年はあいにくの雨。ところが翌11月4日(日)が素晴らしい展望日和でした。前日の雨と、朝冷え込んだのが幸いしたのかも知れません。展望といえば、やはり鳩吹山ということで、結局行ってしまいました。山頂に着くと、期待したほどスッキリとしていたわけではありませんが、それは期待が大き過ぎるのであって、十分な展望がありました。御岳や中央アルプス、そして白山が冠雪しているのにビックリ。翌日の新聞に白山の初冠雪が報道されていたので、他もそうだったのかもしれません。恵那山や乗鞍岳、南アルプスの北岳や間ノ岳も見えていました。双眼鏡では槍ヶ岳も確認できました。実はこの日、ビデオカメラ(DV)を初めて山に持ち込みました。前述のような展望を目の前に、ビデオ撮影。後で画像を確認したところ、ちょっとしたコンパクトカメラ並の映像は撮れました。遠くの山も、名古屋のセントラルタワーズも、画像に収める事ができたのです。残念だったのは、三脚を用意していなかったので、結構手ブレがあることでしょう。次回の教訓となりました。それにしても、やはり鳩吹山からの展望は、なかなかのものです。いろいろと敬遠したい理由はあるものの、それでもまたこの展望の魅力で登ってしまったのでした。


(83) 10/31 鳩吹山その後
 9/16に鳩吹山へ久しぶりに行って以来、10月には10/8と10/14の2回訪れました。10/8は西山登山口から西山山頂まで、10/14は真禅寺登山口から大天神山頂まで、それぞれ行ってみたのですが、やはり人が多いというのが実感です。私は朝の7〜8時頃に登り始めるので比較的ましですが、下山する9〜10時頃には、これから登ろうとする人を沢山見かけます。登山口の駐車場はあふれ、また最寄りの名鉄可児川駅からも登山口へ向かうハイカーの姿を多く目にします。登山ブームそして鳩吹山が有名になったこと、いずれも原因だと思いますが、ちょっとこの山を敬遠する気持ちになっても仕方がありませんね。その点、猿啄城などは、ほっとします。

ページ更新のお知らせ:「坂祝の猿啄城展望台へ ’01秋」のページを追加しました。


(82) 10/8 兼山古城山・その2
 古城山にも、9/30にまた行ってきました。名鉄八百津線が廃止となったのですが、この日が運行最終日。山頂から兼山駅が真下に見えるのがわかっていたので、列車の写真でも撮っておこうという気持ちもありました。蘭丸ふるさとの森の管理棟前の駐車場にクルマを停めると、そこから山頂までは、大した高低さではなく、10分余りで達してしまいました(^^;
 クルマで向かう途中、八百津行きの列車を見かけたので、もしや折り返しの列車に間に合うかと思ったのですが、果たして、山頂に着くと踏み切りの音が聞こえています。慌ててカメラの用意をすると、案の定、列車が来ました。列車といっても1輌のレールバス。古城山山頂の金山城跡からは、眼下に兼山駅が見えるのです。鉄道沿線には、鉄道マニアなどが沢山いましたが、さすがにここから見ようという人はいないかも。コンパクトカメラで4枚だけ写真を撮りました。
 翌日からはその風景が無くなると思うと、利用者では無かったけれども、寂しい気持ちがわきます。下山しての帰り道。ちょうど道路上の陸橋を渡る列車に再び遭遇。それが、八百津線を走る列車を見た、最後の姿でした。なんだか、山の報告だかわかりませんね・・・。一応、広い意味での展望かな(^^)


(81) 10/8 猿啄城展望台・その2
 猿啄城展望台、9/28に再訪問しました。実は、この日は仕事(取材)で、前回は下見でした。朝7時頃まで雨が降っていたので心配しましたが、9時頃からはうってかわっての青空となり、かえって、雨上がりの素晴らしい天気になりました。猿啄城は午後から上がりました。ふもとからも恵那山は見えており、展望が期待できました。下見しているともあって、案外あっさりと山頂に達した感じ。そして展望は・・・
 見事、御岳から中央アルプス連峰、そして恵那山が一望できました。北には、高賀山や瓢ヶ岳が近く見え、西には伊吹山らしきシルエット。南西には濃尾平野があり、名古屋方面が望めました。そしてセントラルタワーズやナゴヤドーム、名港大橋も確認できました。もっと条件が良ければ、乗鞍岳や南アルプス、白山も見えるとの事。なかなかの展望台に満足です。


(80) 10/8 兼山古城山
 9/24、岐阜県兼山町にある古城山に登ってきました。織田信長に仕えたことで知られる、森蘭丸。そのゆかりの城である金山城があった山です。国宝犬山城は、この城を移築したものだという説もあります。この城山南面は、昨年「蘭丸ふるさとの森」として整備されました。その結果、登山道も山道というよりは遊歩道に近いものとなり、山行というよりは散策を楽しむ感じになっています。山の上部には、出丸跡、三の丸跡、二の丸跡などがあり、石垣の一部なども残っていて、山城があったことをしのばせます。そして本丸跡には神社が建っています。木が茂って展望はありませんが、兼山の街並みを見下ろせます。今月いっぱいで廃線となる、名鉄八百津線。その兼山駅が真下に見え、レールバスが到着したところでした。そんな風景も今だけなんだと思いました。
 出丸跡付近まで引き返すと、斜面に張り出した展望台があります。南側の展望が開けますが、アルプス方面は山があって見えません。目の前には高根山という低山、右手には鳩吹山も見えています。そして発見は、遠く霞んで伊吹山が見えていました。この展望台で朝食を採って休憩した後、下山しました。帰りにクルマで兼山駅の横を通ってみると、鉄道ファンらしき人たちが、写真を撮ったりしていました。この駅方向からも登山道があるそうで、こちらは急峻な山道だということです。いずれ挑戦してみようかと思いました。


(79) 10/8 猿啄城展望台
 9/19(水)に、岐阜県坂祝町にある猿啄城(サルバミジョウ)展望台に行ってきました。ここは、以前FYAMAP展望の広場において陳夢龍さんも紹介された場所で、その当時は「城山」または「勝山城址」と呼ばれていたと思います。その後、坂祝町が坂祝誕生百周年を記念してやぐら風の展望台を建築。以来、猿啄城展望台として紹介されています。日本ラインと呼ばれる木曽川の景勝地。そこから一気にそびえ立つ山の上にこの展望台があります。下を通る国道21号からも見上げることができます。もちろん、そこに通ずる車道は無く、登山口から徒歩で登ることになります。
 登山口には、御嶽信仰の社がありました。そこに「山頂まで700m」の表示板。もちろん距離です。最初は階段の付けられた急登が続きます。これが結構きついのですが、一気に高度をかせぎます。やがて、高圧線の鉄塔がある場所に出ると、木曽川や坂祝町を見下ろせるポイントとなります。そこからしばらく緩い勾配の道が続きます。途中に「あと350m」の表示があり、半分だと気づきます。ちなみに、この表示は50m毎にありました。再び高圧線鉄塔のある場所があるのですが、ここからは、北側に対峙する山の景観がなかなか見事でした。そこからしばらく登った所には、岩に描かれた不動明王があり、ちょっとびっくり。山頂手前には、白河神社と記された大きな石もありました。
 山頂に到着すると、下から見えていた二層の展望やぐらがあります。2人組のおばさんが、大きな声で世間話しをしていました。私は、やぐらの上の層に上がってみました。なるほど、木曽川の眺めが素晴らしく、鳩吹山も見えます。東側が開けているので、澄んでいれば、御岳や中央アルプス、恵那山などが望めるはずです。西には、伊吹山も見えそうです。展望図によると、名古屋のツインタワーなども見えるとか。このときは、霞んでいて遠望はダメでしたが、なかなか気持ちのよい場所でした。ここなら、鳩吹山と同等の展望を得られるかもしれない。そんなことを思いながら下山しました。残念なのは、国道のバイパス建設のため、登山口付近で工事をしている事。もし行かれる人があれば、気をつけて下さい。


(78) 9/16 半年ぶりの鳩吹山
 今年2月以来、半年以上ぶりに鳩吹山へ行ってきました。朝7時に起床するとただちに身支度をして、途中で朝食となるパンなどをコンビニで購入しながら、登山口(真禅寺口)に近い駐車場に着いたのは7時半頃。登り始めたのは7時40分頃でした。久しぶりの山行だったので、やはり急登がきつく、9月半ばで、やや涼しくなったとはいえ、半袖ティーシャツ1枚でも汗があふれました。それでも8時過ぎには山頂休憩所に到着できました。

 下から見たときは、高曇りの感じもあって、ひょっとすると遠くの山が見えるかなと期待したのですが、東側180度は、雲厚くまったくダメといったところです。西側の空は青く澄んでいますが、鳩吹山(大天神)の西には、西山その他の山があって、そもそも見えません。北側から西よりにある白山の頭がなんとか見える他は、遠くの山はやはりダメでした。名古屋のツインタワーが肉眼でも妙に見えていて、名古屋空港から離陸する飛行機もよく見えましたが・・・。休憩所には1時間近くおりましたが、結構人の出入りがありました。知人にも思わず出くわしたりして、びっくりです。その後、休憩所の馴染み同士といった方々が集まりだし、なんとなく私は居づらくなって、下山することにしました。

 鳩吹山の登山者は、さらに増加しているそうです。私もその雰囲気にひかれて行っている一人ではありますが、登山道は荒れ、ごみも見かけるようになり、そして騒々しくもなってきたように感じます。何だか、ちょっと行きづらい気持ちが生じています。かといって、ここに代わる身近な低山は思いつきませんが、そろそろ潮時かもしれないなどと考えてしまいました。


(77) 8/17 山の温泉(その9) 〜南信州平谷 ひまわりの湯〜
 この温泉で思い出深いのは、1995年11月11日〜12日に、南信州浪合村にある「もみじ平」を拠点に開催された、「FYAMAPもみじ平オフ」で訪れたことです。私は2日目の朝からの参加でしたが、蛇峠山登山やとんきら農園での昼食の後、ひまわりの湯に皆で入りました。国道153号沿いにある日帰り入浴の施設ですが、内湯と露天もあり程よく広い温泉です。当時でも結構人が多かったのですが、今は「道の駅平谷」が隣接しているそうで、ますます賑わっているだろうと思います。


(76) 8/17 山の温泉(その8) 〜南飛騨馬瀬村 美輝の湯〜
 天下の名湯下呂温泉の北西辺りに、馬瀬村(まぜむら)という山村があります。村の中央を南北に馬瀬川が流れていますが、その川のほとりに温泉が出たというので行ってみました。これも年次が定かでないのですが、1993〜4年頃ではなかったかと思います。川の右岸に、即席で出来たような建物があり、脱衣場を出ると露天風呂が一つ。(もちろん男女別)。印象的だったのは、頭にかぶる笠が壁にいくつか下がっていて、おそらく雨のときに使うのだろうということでした。春先のまだ肌寒い時期だったので、大変温まった記憶があります。今では、立派な宿泊できる村営ホテルが建ち、スパー美輝(みき)という名前まで付いているそうです。


(75) 8/17 山の温泉(その7) 〜秋山郷小赤沢 楽養館〜
 しばらく、山の温泉シリーズがお留守になっていました。今回紹介するのは、私が行った中でも超お薦めの温泉です。信州秋山郷は長野県栄村にあり、新潟県と隣接しています。山国である信州の中でも、最も山奥にある地域のひとつですが、苗場山の登山基地としても知られています。1996年9月、苗場山に登るべくはるばる訪れましたが、登山前日に入ったのがこの「楽養館」でした。日帰り入浴施設で300円。鉄分を多く含むと思われる赤いお湯で、ぬるいのにポカポカと大変気持ち良かったのを覚えています。木造の建物は古いものではなく、どちらかというと洒落た感じすらするところでした。遠くて山深い場所なので、なかなか気軽に行くわけにはいきませんが、苗場山に登る人には是非とも立ち寄って欲しい場所です。

 参照:「苗場山、山頂遊歩 1996年秋」のページ


(74) 7/31 霧ヶ峰へ行ってきました
 実は私も、7月15日(日)に行ってきました。(もう半月以上前ですが)今回はそもそも「霧ヶ峰へ行くぞ!!」というつもりで行ったのではなく、白樺湖へ1泊旅行に行って、"ついで"に行ったという感じでした。まあしかし、皆さんの発言を見て意識はしていました。そんなわけで、今回の霧ヶ峰は山行ではなく観光でした。まず、初めてビーナスラインを白樺湖側から入り、料金を払いました。(今までは、強清水か沢渡にクルマを停めることがほとんど。)そして、初めて車山のリフトに乗って、山頂まで行きました。(今までは、車山肩から歩いて登ったことしかなかった。)

 驚きましたよ。あんなに簡単に山頂に行けるなんて。リフトを降りたら、山頂は目と鼻の先じゃないですか。それと、山頂にレーダ施設が出来たとは聞いていましたが、ほんとに、ドーンと人工的な(当たり前ですが)建物がありましたねえ。以前あった展望台よりは、すっきりした見栄えのする施設ですが、やっぱり、高原に似つかわしいとは言いがたいものがありますね。それに、立ち入り出来ないので、360度展望ができません。今回は、山頂まで行く覚悟をしていなかったので、下界のままの軽装でしたし、山頂ではやや肌寒さを感じました。晴れてはいたものの、遠望は利かない状態でした。ニッコウキスゲは結構咲いており、高原も所々黄色く見えました。

 滞在時間も短く、再び下りのリフトに乗りました。下りに乗るという経験があまり無いので、急勾配のところなどは、なかなかスリルを感じましたね。一緒に乗った子供は大喜びでした。下の乗降場でリフトを降りると、これから乗る人の長い列。私たちは、白樺湖を9時頃出発していることもあって、そうした混雑に巻き込まれずにすみました。クルマで強清水方面へ向かうと、途中の車山肩付近では、駐車場に入れずに路上駐車しているクルマがたくさんありました。このぶんだと、強清水もいっぱいなのかなあと思いながら、山を下りるため、強清水手前の交差点を池のクルミ方面へ。その路上にも駐車車両が並んでいました。ところが、池のクルミ付近は閑散としていて静かでした。1996年夏、FYAMAPのオフでそこを歩いたことが思い出されました。改めて眺めると、車山との標高差が結構あるように感じました。そいうえば、湿原からの登り道が谷状になっていて、風が吹かず、暑くてきつかった覚えがあります。

 実に4年ぶりの霧ヶ峰でした。今回は、クルマとリフトという、安直で駆け足の車山でした。リフトはちょっと新鮮な感動もありましたが、霧ヶ峰はゆっくり歩くほうが楽しいだろうなと思いました。


(73) 6/27 『劒岳(点の記)』を読んで
 これは、明治40年に陸地測量部が剣岳に登頂したことを物語にしたものです。未踏の地と思われていた剣岳山頂には、錫杖と剣があったという、山好きな人には有名な実話をもとに、小説化したものですね。『槍ヶ岳開山』が江戸時代の僧侶・播隆を主役にしたのに対し、こちらは、明治時代の測量官・柴崎芳太郎氏を主役にした物語です。地図の空白地帯であった立山周辺を測量するために、人跡未踏の地とされる剣岳へ三角点設置せねばならないという使命。そこには山岳会より先に登頂せよという、暗黙の命令も含まれていた。3000m級の厳しい山岳地帯で測量の仕事を続けながら、剣岳登頂の機会を探る測量隊。しかし、2度の失敗によって、いよいよ登頂は絶望的に。ところが、修験道者の残した言葉をヒントに、意外なルートから、山岳会よりも先に登頂を果たす。しかし、そこにはすでに人が登頂した足跡があった!!
 劇的な結果を待つ実話をもとにしているだけあって、ストーリーとして大変面白いものになっています。もちろんそれだけでなく、測量という仕事の大変さが詳細にわかります。その意味では、地図の広場的な話題でもありますね。柴崎測量官と、それを補佐する二人の側夫。そして案内役の長次郎他の面々。半年以上、この山の中で行動を共にしていく男たちの物語。本当にワクワクしながら読みました。結局、初登頂でなかった事や三等三角点を設置できなかったことなどから、測量部の上層部からは評価されないという理不尽さ。その登頂の意味を最も理解したのは、他でもない山岳会だったこと。わが国近代登山創成期の当時の状況までも感じられます。
 また、この物語を面白くしている要素として、立山信仰や修験道という、山岳信仰が深く関わってくることがあります。立山信仰では「登れない山・登ってはならない山」とされる剣岳。しかし行者(修験道者)は、登頂の事実や可能性を示唆する。実際、山頂にあったのは行者の錫杖と剣ではなかったか・・・。そう考えると、想像を絶する困難に立ち向かった無名の行者のこと、その強い意志に感銘を覚えずにはいられません。今でも、その錫杖と剣は柴崎測量官の息子さんが所持されているとか。奈良時代のものと考えられるということですが、これは正式な鑑定を受けているのでしょうか? 機会があれば、是非実物を拝見したいものですね。それにしても、測量隊というのはすごい人たちだなと尊敬します。今の日本地図があるのは、そうした人たちのおかげなのですね。


(72) 6/27 播隆シンポジウム
 ところで、この広場で播隆のことが話題になるのとまるでタイミングを合わせたかのように、「第二回播隆シンポジウム」というのが開催されたという記事が、5/31(木)の中日新聞の地方版に掲載されました。何故か開催日が載っていないのですが(最近そういう記事が多い!)、記事の前日ないしは数日前でしょうね。開催地は、祐泉寺や播隆の墓のある美濃加茂市(岐阜県)。ネットワーク播隆、及び市教育委員会の主催となっています。槍ヶ岳山荘の穂苅貞雄氏の講演もあり、新田次郎の『槍ヶ岳開山』の執筆エピソードなども語ったとか。第一回は昨年、揖斐川町(同県)で開催されたとか。ここは、播隆が住職を務めた唯一の寺があったところですね。第三回があるのかどうか記事にはありませんが、おそらくあるのでしょう。あるとすれば、生誕の地(富山県)か、あるいは上宝村(岐阜県)か、それともその他のゆかりの地か。可能ならば、講演の資料など入手してみたいですね。


(71) 6/5 『槍ヶ岳開山』を読み終えて
 『槍ヶ岳開山』読み終えました。読んだ後に、深い感動と充実感が残っています。正直、最近は小説などを読むことがほとんどありませんでしたが、久しぶりに読んだそれは、あまりに素晴らしいものでした。それは、播隆という人間の偉業のすごさでもあるとともに、著者・新田次郎の作品の素晴らしさでもあると思います。何よりも、新田氏が登山に熟知していること、そしておそらく、背景となる歴史と仏教を十分に調べていること、それらにより非常に完成された内容になっていると思います。しかしそれだけではなく、何よりもそこに描かれた人間描写が読者を引きつけるのではないでしょうか。上人と崇められる僧侶播隆が、しばしば見せる俗的な人間性、それをとりまく様々な僧侶や人々の性格付け、それらが、単なる伝記や史実ではない小説として、大変面白いものになっていると思います。そして小説中終始一貫してついてまわる、誤って殺してしまった妻の最期の表情の謎、その謎に関わっていると想像させる、登場人物弥三郎の数々の行い。そして最後の播隆臨終シーン。これ以上語ると、これから読まれる皆さんに申し訳ないので伏せますが、私はあまりの感動に思わず涙をこらえました。さて、この発言のリンク元になる美濃加茂市祐泉寺ですが、この小説にも頻繁に登場します。播隆上人にとって、美濃国は第二の故郷であり、その重要な拠点としてこの寺があったものと考えられます。そう思うと、私の住む隣街にこの寺があるという事に、何か、非常にうれしいものを感じてしまいますね(^^)


(70) 5/31 『槍ヶ岳開山』購入。
 播隆上人の墓のことは(68)で触れましたが、その実話をもとにした小説『槍ヶ岳開山』の文庫本を入手しました。FYAMAPでお教えいただいて、早速インターネットで注文して購入したものです。オンラインブックストア「bk1」というサイトがありまして、1回の注文で何冊でも250円の送料で届きます。所要日数も2〜3日と、書店で注文するよりははるかに早くて便利ですね。支払いは、@niftyの「iRegi」サービスを利用しました。@niftyの毎月の利用料と一緒に請求されるもので、これだとクレジットカードの番号などを入力する必要もなく、安全にネットでの購入ができます。ちなみに、『剣岳(点の記)』という、同じく新田次郎の小説も一緒に購入しました。本の内容については、いずれまた紹介します。


(69) 4/30 サイト開設から2年を経過
 1999年4月24日が、このWebサイトの開設日です。先日、2周年を迎えたばかりです。延べ訪問数は約5900件で、6000件には届きませんでしたが、まあまあの数ではないでしょうか。最近は新しいページを追加することもしておりませんので、あまり伸びないのは仕方の無い事でもあります。そんなわけで、久しぶりに新しいページを作成しました。97年の北八ツ山行です。

ページ更新のお知らせ:「北八ツの森再訪 ’97夏」のページを追加しました。


(68) 4/18 播隆上人の墓
 日本のアルピニストの先駆者として有名な、播隆上人。あの槍ヶ岳を初登頂し開山した僧侶ですね。その墓が、岐阜県美濃加茂市にあることを知りました。先日、そこを見てきました。美濃加茂市には中山道太田宿があり、交通の要所だったのですが、その宿場町の一角、祐泉寺という寺の東にその墓が今も残っています。彼はその寺で亡くなったということのようです。詳しいことは知りませんが、太田宿を拠点として北アルプスに向かったのかもしれませんね。身近に播隆上人ゆかりの地があるとは露知らず、思わぬ発見に喜んでいます(^^)

 太田宿のあった旧街道沿いは、妻籠・馬籠なような街並み保存はされていませんが、国の重文である脇本陣跡(林家)などもあり、ところどころ当時の面影が残っています。最近は訪れるハイカーも多いとか。鳩吹山登山との組み合わせもお薦めです(^^)


(67) 2/27 テレビ番組『可児から富士山は見えるか』
ケーブルテレビ可児にて2/17(土)〜2/23(金)の1週間放送した、上記タイトルの番組。企画〜撮影まで関わりましたが、結構面白いものが出来たと思います。残念ながら岐阜県可児市内のケーブルテレビなので、他の地域の方は見られませんでした。FYAMAPのメンバーにも資料提供等でお世話になりました。また、検証にはもちろんカシミールを使用しています。実際のところ富士山は見えないのですが、調査を進める中で、いろんな山が見えることを発見し、また、美濃加茂の富士山が見えるというオチもあります。私にとっては、念願かなったというところです。


(66) 2/16 ☆OUTDOOR WEB RING☆に登録
 トップページの下に、初めてバナーが付きました。☆OUTDOOR WEB RING☆という、アウトドア関連のリンクなのですが、登録することで登録者お互いがリンクされたような状態になります。したがって、アウトドアに関心ある者同士が検索しやすい環境になります。訪問者が増えるといいですね。


(65) 1/13 山の温泉(その6) 〜奥飛騨温泉郷 福地温泉〜
 奥飛騨には平湯温泉を代表にいくつかの温泉郷が並んでいます。そのひとつが福地温泉で、隣の新平湯温泉とともに、日本一露天風呂が多いことで知られています。温泉宿は民宿など比較的小規模なところが多いのですが、それぞれが露天風呂を持っているのです。私は、乗鞍〜新穂高〜上高地の山旅のとき、一泊の宿としてこの温泉の民宿に泊まりました。小さいのですが本当に露天風呂がありまして、しかし開放的というのか、下に道路があってクルマの行き交うのが見えたりしました。こういう小さな温泉もその後いくつか利用しましたが、なかなか趣があっていいものだと思います。


(64) 1/13 山の温泉(その5) 〜乗鞍高原温泉〜
 これは、いわゆる山行のときに立ち寄った温泉ではなく、冬のスキーのときに利用しました。乗鞍高原スキー場の目の前には乗鞍高原のペンションや民宿がたくさんあります。そのほとんどには温泉があるのです。乗鞍高原温泉自体は比較的新しい温泉で、この高原を観光目的で開発してできたと聞いています。すぐ近くに歴史のある白骨温泉がありますから、もしや泉質は同様なのかもしれません(いずれも乳白色の温泉です)。もし同じなら、乗鞍高原温泉の方がお値打ちに利用できるかもしれませんね(^^)


(63) 1/13 山の温泉(その4) 〜八ヶ岳西山麓 渋御殿湯〜
 初めて北八ツに行った帰りだったと思います。黒百合平への登山口にあたるところに渋温泉というのがあって、そこの渋御殿湯というホテルに一泊しました。ですから日帰り入浴できるのかどうかわかりません。登山者が玄関先を使用しないように注意書きの看板があったのを覚えています(^^;。確か湯船は木造だったような気がするのですが、記録が無いので不確かです。すいません。ただ、初めての山小屋泊まりの登山後だったので、とても疲れを癒したのを覚えています。


(62) 1/3 初夢
 21世紀になってしまいました。20世紀最後の話題が「入院」とは、やや情けない次第ですが、新世紀は健康第一でいきたいと思います。
 ところで、初夢は1月2日〜3日にかけて見る夢との事。普通に考えれば1月1日〜2日にかけて見る夢のような気がしますが、どういうわけか前者が正当だそうです。とすれば、昨晩の夢が初夢なのですが、残念ながらあまり覚えていません。何だか、仕事絡みの夢だったような気がするので、あまり思い出したくも無いのですが・・・。皆さんはどんな初夢を見られましたか。


(61) 11/2 入院
 なんと、生まれて初めて入院してしまいました。
 扁桃腺炎なんですが、かなりしつこい菌にやられたらしく、3日間激しい痛みと高熱が続いた末、4日目に病院で診察を受けたところ、重症とのことで翌日から10日間入院となってしまいました。ようやく今日退院ですが、点滴を引き続き受けるために、毎日通院せねばなりません。入院も初めてなら、点滴も初めて。経験と言えばそれまでですが、あまりしたい経験ではありませんね。やっぱり健康なのがいいなと思いました。


(60) 10/16 フィアット・プント
 この「散策路」の最初の話題は、プジョー206についてでした。フランスの小型車なのですが、あれから約1年半が経って、これが結構売れているという状況だそうです。おかげで、プジョー自体の日本での売り上げは絶好調との事。街中でもしばしば見かけるようになりました。
 輸入車では、やはりフォルクスワーゲンやメルセデスなどのドイツ車が多く売れていますが、このところ前述のようにプジョーが元気ですし、イタリアのアルファロメオも好調です。日本人には敬遠されがちだった、フランスやイタリアといったラテン系のクルマが、少なからず売り上げを伸ばしているというのは、ちょっと面白いですね。私自身、フランスのシトロエンのオーナであった経験があり、ラテン系のクルマは好きです。プジョー206はフランスですが、イタリア車で最も売れているのがフィアットのプントというクルマです。
 フィアット・プント。プジョー206同様に千数百リッターの小型車です。日本車でいうなら、今最も売れているクルマのひとつ、トヨタのビッツと同じクラス。プントは最近モデルチェンジをして、バックオーダを抱える受注があるということです。私はまだ写真でしか見ていませんが、なかなか良さそうな小型車だと感じました。特にトランスミッションにCVTを採用し、しかもマニュアル的に使えるシーケンシャルモードを備えるというのは面白い。そして何よりも魅力的なのが157万円という価格設定です。フィアットも日本市場を本気で考えていると思えます。
 プジョー206に続き、楽しみな輸入車のひとつです。

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(59) 10/4 展望ファンのシーズン
 展望ファンにはうれしいシーズンとなってきました。秋〜冬にかけては空気の透明度が高くなり、遠くの景色までが見渡せるようになります。しかも高い山々では初冠雪の便りも聞かれるようになり、神々しい雪山の姿が見られるようにもなります。あそこに見える白い山は何だろう?そんな疑問こそが展望ファンの第一歩です。

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(58) 9/6 そろそろ山でも
 しばらく山へ行っていません。暑い暑い夏も終わり、ようやく涼しげな秋を感じる頃となってきました。富士山では早くも初雪が観測されたとか。このところ運動不足なので、そろそろ鳩吹山の週末早朝登山でも再開せねばと思っています。

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(58) 9/2 山の書籍(その3) 『傷だらけの百名山』
 『傷だらけの百名山』、加藤久晴著、リベルタ出版、1994.6.10初版、ISBN4-947637-30-7
 「百の頂に百の怒りあり」とは、この著者の言葉である。『日本百名山』で深田久弥が「百の頂に百の喜びあり」と述べたのをもじったものであるのは言うまでもない。白馬岳、八ヶ岳、白山、富士山、槍ヶ岳の5つの山に起きている数々の自然破壊の行いを紹介し批判している。また、いわゆる登山ブーム、そして百名山ブームに対しても問題提起をしている。私のこのWebページをご覧になっている人はわかるかもしれないが、私も百名山ブームには否定的なので、同感するところも多い。詳細な内容の部分部分には疑問に思うところもあるが、大筋は賛同できる。なお続編も出版されている。


(57) 9/2 山の温泉(その3) 〜下諏訪温泉 児湯〜
 どの山行のときなのか思い出せませんが、霧ヶ峰あるいは高ボッチか鉢伏山、いずれかの帰りだったと思います。年次も1992年か93年頃だったのではないかと思うのですが、わかりません。下諏訪温泉は諏訪湖のほとりにある温泉郷です。上諏訪温泉が近代的なホテルなどが並んでいる比較的派手な温泉なのに対し、下諏訪温泉は昔ながらの温泉町という地味な雰囲気のところです。諏訪大社(秋宮)の前に広がるこの温泉地を国道142号線で抜ける途中、観光案内所を見つけたので、良い立ち寄り温泉はないか聞いてみました。紹介された一つがそのすぐ近くの「児湯(こゆ)」でした。料金が非常に安かったということは記憶していますが、いくらだっか、300円以内だったと思います。木造で歴史のありそうな外観で、中はわりと広々とした良い雰囲気のところでした。お湯も気持ち良かったです。とにかく詳しくは覚えていないのが残念ですが、現在も当時のままあるとすれば、最もお薦めできる温泉のひとつです。自分も機会があれば、記憶を取り戻しに訪れたいところです。


(56) 7/11 山の書籍(その2) 『車窓の山旅・中央線から見える山』
 『車窓の山旅・中央線から見える山』、山村正光著、実業之日本社、1985.2.1初版、ISBN4-408-00710-2
 中央線の新宿〜松本間の車掌として四十年間勤務した著者が、そこから見える山々について、車窓からの写真や図解、著者のエピソード、あるいはその山にまつわる話しなどをふんだんに織りまぜて紹介している。130にまとめられたそれぞれの山の話しは、身近な低山から遠くの高峰まで実に多様で、いろいろと発見させられるものがある。山の展望派はもちろん、山好きなら誰もが楽しめる一冊であるとともに、鉄道好きや旅好きにも十分な魅力があるのではないだろうか。

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(55) 6/10 山の温泉(その2) 〜蓼科温泉プール平〜
 1992年夏。蓼科山に日帰り登山した帰り、登山口の女の神茶屋で聞いた話しを頼りに、蓼科温泉のプール平というところへ行きました。蓼科温泉の中にある公衆浴場のようなところで、こぎれいという形容は使えないような、良く言えば庶民的な雰囲気のところでした。料金を記憶していないのですが、かなり格安だったような気がします。高原へ訪れる観光客も多いシーズンですから人が多く、ゆっくり浸かるという雰囲気ではありませんでしたが、汗を洗い流してリフレッシュするには十分でした。ただ、お湯がぬるかったのがマイナス点でしたね。

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(54) 5/23 胃腸風邪
 胃腸風邪というやつにかかってしまいました。
 おそらく生まれて初めてではないかと思います。いままで他人の話には聴くことはあっても、自分にはよくわかっていなかったのです。最初はちょっと食欲が無いなと思っていたのが、微熱が出て間接などに痛みが出てきました。そして吐き気が強くなって、何かを食べるという気がしなくなってしまいました。その晩は風邪薬を飲んで早々に寝たので、しばらくして熱は下がったようでした。寝ていると夜中に胃の痛みを感じたので、空腹と薬のためだと考えて、少し消化のよいモノを口にしました。しかし朝になっても胃痛は治まらず食欲も戻らないため、今度は胃腸薬を飲みました。それでも胃痛が治まらないため、その段階で初めて「胃腸風邪」という言葉が頭を過りました(^^;
 幸い、自然治癒力で(?)その後徐々に症状は改善されたため、医者には行っておりませんが、それでも5日目になる今日現在、胃腸の調子はまだ万全ではありません。薬屋には行ってみましたが、胃腸風邪用の市販薬って無いものですね。漢方系の薬で1つ見つけただけです。皆さんも気をつけてください。

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(53) 5/6 山の書籍(その1) 『山岳展望の楽しみ方』
 新企画第二弾は「山の書籍」紹介です。
  『山岳展望の楽しみ方』田代博著、山と溪谷社(YAMA BOOKS20)、1991年初版、ISBN4-635-04060-7
 わが国の山岳展望の第一人者ともいえる田代博氏の代表的著作で、山を展望するということについて様々な角度から総合科学としてとらえ、しかも誰にでもわかりやすいよう簡潔にまとめられている。現代における山岳展望のバイブルとも称され、展望ファンには必携の一冊であると言っても過言ではない。机上で描いた山岳展望図が実地の風景と一致するかを検証するにあたっては、HANAPYの広場でもおなじみの富士見台が登場する。1991年初版の本ということもあって、パソコンの活用方法など内容的に古くなってしまった部分もあるが、山岳展望という概念を理解するには今でも最適のものと思われる。


(52) 04/30 山の温泉(その1) 〜御岳明神温泉〜
 新企画第一弾は「山の温泉」紹介です。
 この温泉を訪れたのは、いわゆる山歩きを始めるきっかけとなった御岳登山の帰りでした。御岳を下山した後、その日の宿を探したところ、開田高原のとあるペンションに泊まることになりました。そこで教えていただいたのが御岳明神温泉でした。御岳のふもとにあるそこへ早速行ってみました。まだ温泉を掘りあてたばかりとのことで、入浴は無料でしたが、プレハブの小屋に脱衣場と風呂場があるだけの簡単な施設。それでも結構なにぎわいでした。宿の人に白いタオルは染まってしまうと忠告を受けていましたが、なるほど鉄分の多い赤いお湯が特徴です。私が訪れたのは1992年の6月末のこと。今は「やまゆり荘」という立派な施設となって、御岳を見ながら入れる温泉として人気スポットになっているということです。


(51) 04/23 「HANAPYの広場」開設一周年!!
 このWebサイト「HANAPYの広場」の開設は、昨年の4月24日でした。
 そうです、おかげさまで一周年を迎えることができました。皆さん、ありがとうございます。このところページ更新があまりできなくて、本当に申し訳なく思っております。山行記録のページも、そろそろネタが不足してきましたので、今年は目新しい企画を2つ始めようと思っております。1つは「山の温泉」紹介で、これまで山行やスキーの帰りなどに立ち寄った温泉のことを掲載したいと思います。2つめは「山の書籍」紹介で、私が所有している山関連の書籍について概説できればと思います。いずれもこの”散策路”のページで随時連載し、ある程度まとまった段階で別ページに独立させられれば良いなと考えています。よろしくお願い致します。


(50) 04/21 携帯情報端末(PDA)
 カシオ計算機の「CASSIOPEIA(カシオペア)」という携帯情報端末(PDA)を購入しました。(先に”落書き帳”にも掲載しました)。PDAというと、日本ではシャープの「ザウルス」シリーズがメジャーですね。手帳替わりに携帯する情報機器として、ノートパソコンでは重くて大げさすぎる、かといってこれまでの電子手帳では物足りない。パソコン的に使えてしかも携帯が楽なものはないか、と考えたときに、こうしたPDAが候補にあがります。私のカシオペアで背広の内ポケットに入る大きさで重さは185gです。ややズシリとした質量を感じますが、何とか手帳として携帯できるレベルではないでしょうか。OSがWindowsCE(パソコン用WindowsのPDA版)なので、操作もほとんど違和感なくできますし、別の対応ソフトを後からインストールすることも可能です。
 ザウルスも考えました。しかし日本でのシェアは多いもののシャープ独自のものです。すべてシャープにおまかせというのはいかがなものか。世界でのシェアで考えるとPalmOSというシステムを搭載したPDAも考えられます。日本では昨年IBMが先行導入して相当売れているようですし、最近は本家Palm製のものも市場に出て話題を呼んでいます。問題は、アルファベットに類似する独特の文字を手書き認識させて入力する方式です。慣れれば正確で早いとのことですが、果たしてどうでしょうか。また画面のイメージがいまひとつという、個人的な感想もありました。カシオペアはWindowsCE機なので、PalmOSと双璧をなす世界のPDA標準です。また手書き認識の方式は日常の文字をそのまま使用するもので、漢字にも対応しています。
 比較点はもちろんそれだけでは無いのですが、結局このカシオペアを選びました。実際操作してみると、思った以上に簡単で、Windowsを利用したことがあれば、ほとんどマニュアルを見ることなく使えるのではないでしょうか。マルチウィンドウでないのが最大の相違点かもしれませんが、各メニュの終了を意識する必要はありません。
 パソコンとの連携も簡単です。クレイドルという別売の接続機器が必要ですが、WindowsCEとの連携システムをパソコン側にインストールすれば、クレイドルをつなぐだけでパソコンとPDAのデータの同期をとることができます。もう少し詳しくいえば、パソコンのOutlookの内容とカシオペアの内容を同じに保つことができるのです。これは自動でも手動でもでき、自動の場合は接続状態で一方のデータを変更すると、もう一方もすぐに変更がかかります。これを使えばパソコンを入力装置にすることもできて楽ですね。
 まだ使い始めたばかりですが、仕事に使うにはなかなか便利なしろものです(^^)

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(49) 04/08 チャイルドシート義務化
 この4月1日から道路交通法で6歳未満の子供をクルマに乗せる場合にチャイルドシートを着用することが義務づけられましたね。我が家にも子供がおりますが、子供が生まれて退院するその日からベビーシートを使い、今もチャイルドシートを使っていますので、まったく問題はありませんが、法制化しないと着用しないということ自体にやや苦言を呈したい気持ちもあります(^^;。もちろんこれまでチャイルドシートの価格が高かったということも問題ではありますが、大人がシートベルトをするのと同様、子供にもチャイルドシートが必要なのは当たり前ですよね。ただしクルマのメーカが、チャイルドシートを後付けしなくても良いようなシート構造にしてくれれば、そもそも問題は無いのになという気もします。欧州車や国産者の一部には、そういうものも現実に存在しますね。
 そもそも大人のシートベルト着用も、法制化して義務づけねばしないということも問題でした。クルマの安全に対する意識は、日本の場合、欧米よりかなり低いのではと思わざるを得ません。「シートベルト着用率日本一」などと自治体がPRするにいたっては、シートベルトを着用しない人が存在することを認めているという、非常に愚かな例ではないでしょうか。後部座席を含めて100%着用で当たり前でなくてはいけません。
 法制化自体は悪いことではないので、どんどん進めてくださっていいと思います。着用せねばと思いながらも、回りの人がしないからやりにくいということも場合によってあるわけで、法制化されれば実施するきっかけにはなるでしよう。法律も行政も積極的に取り組んでいくべきだと思います。
 子供も小さいころから慣れさせれば、それが当たり前と思いますし。むしろすすんで着用するようになるのではないでしょうか。我が家では幸いそうなっています(^^)


(48) 03/19 ゼンリン・ナビソフト「全国版5シリーズ」
 昨年の11月にクルマのナビゲーションシステムを購入し、週末などにときどき利用しています。交差点でどちらに曲がれなどと指示をしてくれたりして、なかなか面白いですし、未知の場所へ行くときには結構心強いものです。私の機種は媒体にCD−ROMを使っており、機器はパナソニックですが、CD−ROMのソフトはゼンリンのものです。その最新版が今月下旬に発売予定のようです。現在のものは「Super全国版4・拡張フォーマット専用」というものですが、これが今度「5」になるのです。当然、地図はどんどん変わるので、新しい方がいいに決まっています。今の「4」を使っていると、この情報は古いなというところがまれにあるので、ちょっと新しいものにもひかれますね。

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「富士見台初訪問 ’93夏」のページを追加しました。
トップページの配置を一部変更しました。


(47) 03/06 太陽光発電
 職場の自主研究チームで、太陽光発電のことを調べています。要は事業所の屋根などに太陽電池を設置して電力にしようということです。決して目新しいことではなく、多くの会社や自治体で導入が進んでおり、中には100KW以上の発電能力を持つものも随分あります。太陽光はとりあえずは無限のエネルギーで、垂れ流し状態になっているわけですから、これを利用しない手はありません。しかも無公害で安全であるという大きな利点があります。コスト的には、電気代の削減分で設置経費をまかなうというわけにはいかないようですが、それでもそういうものを利用することには価値があると思います。最近は家庭用のものも普及し始めており、どんどん需要が増えれば、コスト面の問題も解消されるかもしれませんね。もっと注目されるべきエネルギーではないでしょうか。
 蛇足ですが、山小屋のエネルギーとしても最適だと思います(^^)


(46) 01/30 メッセージ送信のページを作りました
 HANAPYの広場をご覧頂いた皆さんからの感想や情報をいただくのに、ひとつは「落書き帳」という掲示板形式のページを用意していますが、これは公開されたページで誰でも見ることができます。それ以外に、メールを送るという手段があったわけですが、これまではメーラ(メールソフト)を起動して行うという方法を採っていました。これをやめまして、ページ上で記述して送れるようにしました。よろしかったらお試しください。

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(45) 01/03 いわゆる2000年問題
 Y2K、いわゆる2000年問題も今のところ大きなトラブルは無く、私も少しほっとしています。生活に直結するような問題は生じなかったと考えてよいのでしょう。(一応、水や保存食は少しだけ用意しました)。しかし多くの企業はまだ操業しておらず、年始休暇明けの思わぬトラブルの不安はありますね。2000年が来ることはわかりきっていたのに、コンピュータのOSやプログラムに未対応のものがあるとしたら、製作者の怠慢と言われても仕方がないと思いますがいかがでしょう。とにかく、無事に過ぎて欲しいと思います。2000年問題対策に追われている方々は、本当にご苦労さまです。

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(44) 01/01 西暦2000年の新年を迎えました!!
 皆さん、明けましておめでとうございます。
 昨年の四月末に開設したこのサイトも、約八ヶ月で2400件余の訪問をいただきました。後半、余り更新できなかったことが反省点ではありますが、今年も何とか新しい内容を加えていければと思っています。
 今年もよろしくお願い申し上げます。 HANAPY


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