権兵衛峠を越えて ’95夏
南信州の伊那谷と木曾谷は、急峻な中央アルプスの山脈によって隔てられています。その昔、それを越えて米を運んだとされるルートがあり、その峠を開拓者の名をとって「権兵衛峠」と称しました。中央アルプス経ヶ岳の南にあるこの峠には、今もクルマの通れる道路が通じています。1995年の梅雨時に私と山師匠は、クルマで木曽側からこの峠を越えて伊那側へ行ってみました。また伊那では、高烏谷山の山頂まで林道を上がってみました。そのときの模様を思い返してみます。(2000年3月19日記述)
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1995年6月24日。FYAMAPで少し話題になっていたこともあって、権兵衛峠へ行ってみることにしました。とはいっても、地図で見る限り道路が通じていてクルマで行けるようです。我々は、木曽側から入ることにしました。木曽谷に沿って国道19号線を北上し、旧中山道の鳥居峠の下をくぐる鳥居トンネルを抜けると、すぐ右手に入る道があり、これが権兵衛峠まで通じています。最初は比較的広くなだらかな道ですが、やや狭くなってカーブを何度か登り返すと、権兵衛峠入口を示す看板がありました。しかし道路がまだ登っているため、さらに進むと道路の頂点らしき場所があり、その横にクルマを停められるスペースがありました。そこにクルマを置いて少し歩いて下るとすぐに、あずまやなどのある公園のような場所に出ました。どうやらそこが権兵衛峠のようです。
あずまやと石碑(左)、展望版(右)
整備されているというべきか、人工建造物が多いというべきか、いくつもの石碑や展望版などがあります。ここに紹介する写真は一部です(^^; ・・・。しかし、分水嶺の石碑などは興味深く、日本海側に流れる信濃川水系の奈良井川、太平洋側に流れる天竜川水系の北沢川、このふたつを分けているようです。また、冷たい湧き水を引いている水場もありました。
分水嶺の碑(左)、冷たい湧き水(右)
クルマに戻り、今度は伊那側に下っていきました。こちらは木曽側に比べると急カーブの連続で、しかもさらに狭い道です。対向車に注意しながら行くと開けた場所に出ました。駐車場や展望台のような場所があり、条件が良ければ南アルプスが目の前の広がってみえるようです。近くに「権兵峠完成予想図」(何故か権兵衛ではない)なる看板が建っており、そうやら何か開発の途中のようでした。(現在はどうなっているでしょうか)
さて、伊那側に下るとそのまま西に進みます。ほぼ正面に見える山が高烏谷山。地図では山頂付近まで林道が通じているようです。何とかという昔の遺跡のそばを通っていくと、林道の入口らしき所を発見。狭いけれど舗装された道を進んで行くと、高度を上げているので正解のようです。やがて尾根付近に出、今度は尾根に沿って南進するような道を行きます。やがて左右の分岐に出ます。いずれも未舗装ですが、右は下っているようなので左へ。さらにまた分岐があり、今度は右へ行ってみます。するとしばらくして行き止まりになりますが、そこが高烏谷山の山頂直下でした。あとは歩いて登ると祠の祭られている頂上に到着です。
高烏谷山の頂上にある祠
この頂上も開けた場所で、東側には左右に広がる雄大な伊那谷と正面に連なる中央アルプスが見られます。とはいっても高い山にはガスがかかって、中央アルプスは見渡せませんでした。同様に、西側にも南アルプスが見えるはずですが、重なる山並みの向こうにあるはずの連峰はガスに遮られていました。
アルプスの展望を示す展望版(左)、眼下に見下ろす伊那谷(右)
とまあ、梅雨時の山道ドライブは展望には恵まれませんでしたが、アルプスの展望ポイントを見つけることができました。その後再訪問する機会を得ておりませんが、2000年の今日、特に権兵衛峠がどのようになっているのか気になるところです。ハイキング気分で行ける場所なので、またいずれ行ってみたいですね。
(終わり)