富士見台初訪問 ’93夏
富士見台には毎年のように何度も訪れていますが、そもそも私がそこを初めて訪れたのは、1993年の梅雨時のことでした。天候の不安定な時期ということもあって、手軽に行けてそこそこ標高のある場所を探していて、この富士見台へ行ってみようということになったのです。そのときは、富士見台の高原でまだ放牧が行われておりました。そんなのどかな様子を、何か懐かしく思い出してみました。(2000年3月20日記述)
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1993年6月。まだ梅雨の最中、岐阜県中津川市と長野県阿智村の県境にある、標高1700米余の高原「富士見台」へ私と山師匠は向かいました。岐阜県側からカーブの連続する林道をクルマで上がって行くと、やがて神坂峠に到着します。東山道という古代の街道が通っていた場所で、ヤマトタケルノ命も越えたといわれる由緒ある峠です。ここで道が二手に分岐しますが左側へ行くと、やがて万岳荘という山小屋のある場所で行き止まりとなります。この前にクルマを置いて富士見台に向かいました。
ここは笹原の高原で、何とも開放的な雰囲気がありますが、あいにくガスが湧いては消えるというような天候で、展望が得られるという状況ではありませんでした。登りにかかると、まず有刺鉄線の柵が張りめぐらされているところを鉄の階段で越えねばなりません。柵の中は、たくさんの牛が放牧されている牧場となっているのです。笹原に点々と牛たちがたたずんでいるのが見えます。
牛の放牧
一応登山道というのか、ルートらしきものがあるのでたどって行きますが、ところどころに糞が転がっています。最初のうちは注意して踏まないようにしていたのですが、やがてそれも面倒なので構わず歩いて行くのでした。牛たちも特にこちらのことはお構い無しで、ルート付近でものんびり草を食んでいたりします。何というか、あまりにものどかな風景でした。
やがて尾根付近にたどり着きます。ここにも柵があって、先程と同様に鉄の階段を越えます。すなわち牧場の外へ出たということ。ここから尾根沿いにゆるやかに登っていくと、左に朽ちかけた神坂小屋があります。それを過ぎてやや急な坂を登るといよいよ富士見台山頂は目前です。最後の坂を登り切ると、ゆるやかな山頂に到着します。
神坂小屋付近(左)、山頂付近(右)
山頂も広々として何も無く、唯一朽ち果てた木製の展望版の跡がありました。空は曇っていましたが、ガスが晴れており、なんと東に南アルプスの稜線が見えていました。一部雲に隠されていますが、シルエットがくっきりと現れています。期待していなかっただけに喜びでした。
仙丈岳と白根三山(左)、荒川三山から赤石岳と聖岳(右)
富士見台を楽しんだ後、我々は信州側に下ってみることにしました。クルマに乗り、神坂峠まで戻ると分岐を左手に進みます。しばらくは山を回り込むような高低差の少ない舗装された道を行きます。そして下りにかかるとやがて未舗装の道路になりました。これがまた結構なダートの道で、我々のクルマはランドクルーザだったから良いようなものの、普通のクルマでは厳しいなと思えるところでした。しかも強引に道を付けたという印象があり、雨のときなどは崖崩れなどが心配されます。岐阜県側とはかなり様相が異なりました。そんな道も少しマシになったところで、ポツンと一軒の家が現れました。どうやら民宿で、温泉もあるようでした。クルマを停めて尋ねると、入浴のみでも良いということなので、早速温泉に入ることになりました。
すっかりリフレッシュしてそこを後にし、やがて阿智村の園原という地区に出ます。ここで師匠が史跡の神坂神社へ行こうと言うので行ってみることに。集落を抜ける道を登って行くと、恵那山トンネルの排気口らしきものがあり、それも横目に通り過ぎると、ようやく目的の神社に到着しました。もう夕暮れ近くになっており、やや暗くなった木立の中に神社はありました。またヤマトタケルノ命が腰掛けて休んだとされる「腰掛石」などもあります。真偽のほどは別として、昔話としては面白いなと思います。
園原の里の向こうに南アルプスが見える(左)、神坂神社の腰掛石(右)
こうして、富士見台を初めて訪れた山旅は終わりました。
今から7年程前のことなのに、遠い昔の思い出のようでもあります。今は、牛の放牧も無くなって有刺鉄線も外されています。神坂小屋も新しく建て直され、山頂にも頑丈な展望版が設置されました。また長野県側の林道も全面舗装され、園原の里には「ヘブンス園原」という立派なスキー場兼ゴンドラ施設も出来ました。富士見台を訪れる人の数も随分と増えたように感じます。そうして少しずつ様変わりはしても、高原の開放的な雰囲気と素晴らしい展望は変わりません。やはり私の最も好きな山域として紹介できる場所です。
(終わり)