左舷 できるだけ キットの部品を使うことにしましたが シャープさを出すため 高角砲の砲身や マストは真鍮線で作リ直した 後マストの13号電探下の信号用探照灯は リサーチに従い左右2基 とした (踊り場の面積が小さく2基は搭載できないという説もある) 二つのアンテナを 送信・受信専用としたのか パラレルで使ったのか定かでない 13号電探のトラスを組んだマストは木製だったといいますが 模型では0.3mmの真鍮線をハンダつけして作った 「マストの基部」は 前2本 後1本 に変更した 15m測距儀の上にある円筒の覆筒(旗艦であったとき白く塗られていた部分)は固定されていて15m測距儀の回転には同期しない プラモで表現されているヒートシンク状の屋根は工事中の骨組みであった事が判明している リサーチの詳細は 「連合艦隊」誌に見る戦艦大和のリサーチ |
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ボラード 木甲板 手すり支柱
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戦時応急機銃シールドと 高角砲 高角砲シールド の 「モンキーラッタル」は 0.2mmの軟銅線(ビニールコードの芯線)を「コ」の字に曲げて工作した 数が多いのと 寸法が小さいので手間がかかった。 |
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測距儀と21号電探 武蔵の21号電探は右舷が受信用で 左舷が送信用 アンテナ素子(エレメント)は 送信用と受信用で形状が違っていた 「21号電探」の実験はこちら 2016の潜水調査でこの残骸が発見された(戦艦大和 最後の証言 P94) 電波探信儀は「電探」と略され たとえば「2号1型電波探信儀」を「21号電探」と呼んだ 21号電探には、エレメントが4列3段の6型、4列4段の7型などの種類があった 13号電探と電探室への給電線は「OYコード」と呼ばれる同軸ケーブルだった可能性がある (陸上用の13号電探はハシゴフィーダーであった) 「測距儀のシールド」 はキットのパーツを半円形に修正した 15m測距儀は「日本光学」で作られ 当時の図面が発見されている |
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ジブクレーン キットの船尾は糸鋸で切断して カット オブ スターン に修正した
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司令塔と21号電探 主砲身上に「外とう砲取付金具」を加工した 弾薬箱はロストワックスの市販パーツを 数個利用したが ほとんどは 1.2mmのプラバンを積層して作ったもの |
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船首の旗ざお アンカーチエーンは「銀製のネックレス」です
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舷窓の塞ぎ板 舷窓の塞ぎを 3mmのポンチで抜いた紙 で表現した 舷側の装甲板の表現はサフェーサーを吹いて それらしくした。 鉄板のつなぎ目のリベット表現は技術的限界のため加工していない 艦載艇は艦の 定員の約半分が収容できるだけの数 を搭載していたという (「半舷上陸」の意味がわかる) 主砲塔のバーベットは真円ではなく前後14m 左右14.8m 実に80cmの違いがある楕円形だった この理由は装甲板の厚みに違いがあつたからという 大和に乗艦されていた後藤さんの お話ではミッドウエ海戦時は内火艇(「ないかてい」と呼んでいた)は 2隻だけ 搭載して行ったそうです(余った空間を兵員の居住区にしたらしい?) |
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2番主砲塔と副砲 甲板は1mm×1mm角の木材をプラ材に張ってあります 実感はありますが 製作開始から10年、「経年変化」で はがれ が起こり 修理しながら作りました 主砲塔入り口の扉は リサーチどおり 「引き戸」として加工した 主砲上の三連装機銃座は戦時応急作りの「六角形」だったという考証に従い作り直した 主砲塔上の「手すり」はチエーンでなく ワイヤーローブが使われていたという |
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1/200 大和 全景 左舷に5個、右舷に6個ある 換気扇の窓といわれる穴は 河井さんのコンピュータによる写真分析の報告どおり 四角に変更した 内部に あったといわれる大型換気扇は未加工 正面線図 は こちら 参考文献 軍艦の模型 泉 江三 海文堂出版社 日本海軍艦艇模型保存会 機関誌「連合艦隊」 日本海軍艦艇史 福井静夫 WWU SERIES DX Vol.2 戦艦大和 1/100 SUPER SCALE MODEL 蘇る戦艦大和 河井登喜夫 工作舎 |
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1番、2番砲塔
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