機関誌「連合艦隊」に見る  戦艦 大和 の リサーチ 

  ・・・ 日本艦艇模型保存会 故河井登喜夫の機関誌「連合艦隊」から抜粋 ・・・
                                           ○号○○p  は連合艦隊誌の記載号とページ(30年くらい昔の資料です)

   


菊花紋章

戦艦の 菊花紋章は海軍規格で直径1.2mΦとされていたが大和は1.5mΦであったことが潜水調査で判明した  (CS放送の「デスカバリーチャンネル」では2mΦと報道していた)
材料はチーク材に金箔を押したもの  84号20p   2016 の潜水調査で「1.0m」と確定された (マイウエー出版 戦艦大和 最後の証言 P94)

艦首旗竿

海底の大和」の映像から 3脚支柱の間に横棒が確認された   
84号20P   36号33P   39号8p

手摺柱(スタンション)は1インチ半(38mm)のパイプで作られていた   軍艦の模型 134p という資料があるが 「実物は30mmの太さで長さ1m」という資料もある   34号24p〜25p    

手摺柱には 起倒式 取り外し式 固定式の3種
がある  艦首の起倒式手摺は艦尾に向って倒れ 艦尾側のものは艦首に向って倒れる    34号25p    手摺の中段の鎖は従来中間と考えられていたが 中段より やや下に固定されていた   39号12p


舷外電路(舷外消磁電路)

電線を束ねて留め金で止めてあるだけのもの 箱状のカバーを付けてあるもの そのカバーも下部がオープンになっているもの などがある この電路がどこに引き込まれているのか は未解明 28号25p 55号9p

止め金具の間隔は1.2m〜1.5m 
 海軍艦艇史(福井静夫)2巡洋艦 p382 「足柄」に鮮明な写真がある    55号9p

この働きは 電路に電流を流しゆっくり減衰させることで船体の「残留磁気」を消し 磁気機雷が反応できなくするもの   同様の機構がカラーブラウン管の消磁コイルとして 地磁気による色むら防止に使われていた


艦首甲板のキャプスタン

福井静夫写真集 山本五十六 大和の艦上写真で意外に背の低い形状だったことが分かる 84号2     取り付け位置は ジブクレーンと同じ理由で中心よりやや右側にずれている  36号22P  39号22p

普通 木甲板 はチーク材を使うことが多いが 
大和は「台湾ヒノキ」が使われていた (レイテ沖海戦時はグレイに塗装されていたが 沖縄戦時は不明)


主砲塔形状

   写真判断(記念写真や砲塔の落とす影)、リサーチなどで 「前面盾」の形状と角度を割り出し背面の扉の形状、 タラップ、 踊り場形状、などを特定した    大和型戦艦主砲塔の再考察 75号31p〜39p     88p27p  

主砲塔背面扉と昇降タラップ、梯子考察   81号30p    日模1/200の形状は誤りである(注 写真は日模の1/200で未修整)

主砲一基の重量は2200t 下手な駆逐艦くらいの重量があった     戦艦大和武蔵 不二美術模型 48p

主砲塔には4箇所に梯子があり中でも背面のものは直線でなく中間やや上部で角度がある   13号22p



扉の開閉方式は「引き戸」であったか「ドア」であったかは定かでない が 84号20P 「引き戸」である方が合理的である    86号23   81号29P    86号23p   88号27p

  

      

砲台長用観測望遠鏡には爆風除けのシャッターがある  砲塔前部の両側に直射手用照準望遠鏡がある 
81号33P 

主砲塔のバーベット外寸は真円ではない
 前後(艦首方向)の寸法が直径14m 左右の寸法が14.8m実に80cmの違いがある(平面図で見れば横に広い楕円形) 

これは舷側方向のみに厚さ56cmの装甲板があり 前後は装甲板が薄いので楕円になったという      
 31号31p  

主砲塔1基に4ヶ所 はしご があり背面のものは中間やや上部で角度がある 踏み板には軽目孔がある   砲塔上の手摺は 鎖ではなくワイヤーロープで張られていた   
13号22p   50号24p   39号12p

「陸奥」の
砲塔上の手摺支柱は上が細いテーパー状だが 舷側の手摺は同じ太さ  大和も同じかも?    50号24p

砲塔基部の上部「キャンバス受け」の先端にローラーがある  
 学研大和型戦艦2 16p  

主砲発射時に要するデータ  

@自艦の進路  A自艦の速度  B目標までの直線距離  C方向角  D目標の進路  E目標の速力  F左右動揺 G上下動揺 H砲弾の種類  I発射用火薬の種類  J発射用火薬の重量  K発射用火薬の温度  L発射用火薬の貯蔵期間   M砲身の使用回数(砲齢) N弾道付近の風向  O弾道付近の風速  P弾道付近の気温  Q弾道付近の気圧  R弾道付近の地球自転速度  S方位盤と砲塔高さの差 (21)方位盤と砲塔間の水平距離による角差 

主砲塔図面     
31号35P


主砲測距儀
 

側距儀覆塔のケースの長さが左右寸法が違う 11号30p 31号31P    日本の戦艦巡洋艦に装備されている測距儀はすべて左右非対称のフードで右側が大きい   
11号30p 17号14p

測距儀覆塔の左右の長さが違う
のは「日本光学70年史」に記述があった      15m測距儀の図面     
30号31p

砲塔:光三九  檣楼:光四九      形式 ステレオインベルト1組と単眼合致式 2組の3連装   基準長 長15m720 短15m28  外筒の外径600mm      
 11号31p
フード内の塗色は白と推定(高射装置の4.5m測距儀、艦橋トップの物も白)
     11号31p

フード(覆函 ホウカン)内部は白塗装        80号35P


後部主砲予備指揮所 

この方位盤は前檣楼トップと同じ機構  @前檣楼トップの方が大型 A同一 B前檣楼のものより大きい の3っの説がある
    28号23p


主砲塔上の機銃座の形状(丸型説と六角説がある)     主砲図面   13号20p

主砲上の3連装機銃座のブルワークは円形である ことが米軍の空中撮影で確認されている   13号23p  が 08-5-2「東京書芸館」の1/144大和の新聞広告では 先の潜水調査では6角形であることが確認された とある

名古屋の護国神社に保存されている 主砲弾と碑文(2012-4-8 撮影 大和沈没は昭和20年4月7日)

砲身内部には旋条(ライフリング)の溝があり 発射された砲弾は口径の28倍(約13m)で1回転しながら 秒速780m(時速2800km)、毎秒60回転で飛行し 仰角45度で発射された弾丸は 
最大11900mの高度で42kmはなれた目標に90秒で達する

       

副砲塔

軽巡時代の「最上」クラスから転換されたというが 砲塔の防熱板の厚さだけ背が高くなっている また 測距儀フードの左右に違いがある

梯子が前面に4本(うち2本は観測窓まで)  両舷に各1本 砲身横に大きな手すりのようなものがあるが これは手摺ではなく 

砲身を上げ下げする場合にキャンバスが観測窓を ふさぎ 視界を妨げるのを防止するのと キャンバスが邪魔で梯子が登れなくなる のを防止するための ガイド   17号14p     50号24p

副砲塔上の「アンテナ支柱」は前後同じ大きさ  84号21p   88号28p

バーベットダクトの上部に 手摺
がある  88号28p      バーベット両側の通気ダクトはバーベットに直結されていない  39号10p

前部副砲塔

吸水ホース、浮き輪 が取り付けられていると推定 当然消火用ポンプモーターが近くにあったはず   消火用ポンプは 海水くみ上げ用 艦全体で4箇所    88号28P

艦橋(前檣楼)


              

昭和11年に「檣楼施設基準」が定められ これに基ずき設計された(比叡にそっくり)

大和の艦橋は日本の戦艦としては始めて13層の塔型艦橋が採用され水面から約40mの高さがあった中甲板から第1艦橋まで 4人乗りのエレベーター が設置されていた 

第2艦橋前面に司令塔頂分より副砲射撃所甲板へ登るための 直立はしご があり窓ひとつ分 左舷によっていた  
 83号33P    

「武蔵」の新造時 司令塔上に行く場合 縄梯子を垂らして昇降した
 大和も同様だったため途中から固定梯子を増設した  17号30p 

艦橋トップ方位盤天蓋形状は従来ヒートシンク状
と思われていたが これは建設途中の骨組み の写真だった    学研 大和型戦艦2 15p   88号28p 

艦橋裏側 旗甲板から上に伸びる昇降ラッタルには4箇所の踊り場があった    武蔵との相違点である 



整流板(正式名称は促流板)


大和の促流板は第一艦橋,防空指揮所にかけ2段に分かれ 第一艦橋の空気の流れを上部に持っていき防空指揮所での活動が都合の良いように作られている      32号39p

第2艦橋前面にも促流板があったという説もある         32号39p

(エアーカーテンを作り艦橋前面よりの風を上層に逃がす)の詳細寸法   32号32p



21号
電探(陸上用の 対空電探1号2型を艦船用に改良)

武蔵の2倍と いわれていたが大きさでなく性能が2倍であった(大和と武蔵の寸法は同じだった) 筆者(河井氏)が図面を発見した   84号21P  39号12p    88号28p 
     


測距儀の付け根の上面5角形の筒は測距儀を支えるサポートのカバーで下面はオープン    測距儀塔の背面にあるダビットのようなアングル材はレーダー装備のための補強材     20号5p

正式の名称は 
2式2号電波探信儀1型(海軍の名称)艦船用は200MC 陸上用は150MC 送信電力5KW 総重量は750s   昭和17年5月 戦艦「伊勢」で実験 以後制式化

アンテナエレメントの構造は送信用と受信用に違いがある(武蔵では左舷が送信用 右舷が受信用とメモした実写真がある) 「21号電探」は改良を重ねたため いろいろな種類がある

ひとつのアンテナで 送受をするタイプは 送信時 放電管で 受信アンテナ端子を短絡させた それでも 高周波増幅のエーコン管(UN954)の寿命は短かった という  

21号電探は測距儀筒中心線上に取り付けられていた
  
 88号28P  

21号アンテナの寸法図(碍子位置)    背面の反射網は7cm角   
20号9p   59号23p   

1.222m×5.34mの枠内に 同じ形のエレメントが2っ並列に接続されて1基の受信アンテナになっている事がこの図面から分かる   
 20号9P
 エーコン管  レーダー受信機の高周波増幅に使われた

 この図面を基に製作した144MHZアンテナの実験 はこちら


13号電探(3式1号電波探信儀3型)

昭和18年に陸上用に開発した対空電探を艦載化した 軽量 で性能が安定していたのでほとんどの艦船に搭載された

小型対空用レーダー 現在で言う「一波長水平4段の移相給電形八木アンテナ」と推定される  2組のアンテナの場合(利根、大和など)は 並列にして送受兼用で使用したのか
送信、受信専用だったのか定かでない

電波の到来方向を調べるため 電探室から手動または電動で回転させることができたという  「隼鷹」の実写真に それらしいワイヤーが見える  22号30p

「1号」は
陸軍の装備品を表す名称だが 海軍でそのまま用いられた珍しい例である    学研 大和型戦艦2 84p   周波数 150MC帯 送信電力 10KW パルス幅10μs   学研 大和型戦艦 120p

陸上用13号電探の給電線は「平行2線式饋電線」(間隔5cmのハシゴフィーダー)だが 駆逐艦の実写真では この給電線が見られない   

当時 すでに
OYコードと称した 同軸ケーブルが存在したらしい 艦船用は このケーブルが使われていたかも知れない  基部にはケーブルの絡みつきを防止する「電磁結合器」があったという 

支柱アングルは 木材をトラス状に組み上げ 上下2段に分かれていて中間で繋いである 空母「隼鷹」の実写真では金属にしては幾分太く「木製」に見える  59号24p   22号30p  39号35p 

軍艦メカ2 日本の空母(光人社) の裏表紙に鮮明な写真がある

材料不足で木材を使った のではなく 
アンテナ特性に影響しないよう 絶縁物?を 使用したのでは ないかと推定する


22号電探

対水上用に開発され 昭和17年5月 戦艦「日向」に搭載され 「伊勢」に取り付けた21型と同時に実験された が
動作不安定 調整困難 と された 

波長10cmのマイクロ波 をマグネトロン(M312)で発振     2式2号電波探信儀2型では 受信回路が 
鉱石検波・スーパーヘテロダイン方式(局発はマグネトロン M60S)に改良され 受信性能は格段に向上した

2基ある電磁ホーンの背の
高い方が受信用  低い方が送信用である


E27逆探(レーダー波受信装置)

波長4m〜75cm帯に有効な「逆探」が装備されたのは1943年秋で 時すでに遅し であった  バンド切り替えは4ユニットを手動で差し替えるもので 非常に使いにくい物だった
それでも 熟練した見張り員より30分も早く敵艦隊を発見することが出来た という    防空指揮所の左右、 第一艦橋前面に つけられている ラケットを2枚合わせたようなものが 受信アンテナである     
学研11 121p


15m測距儀

筆者河井登喜夫)は日本光学で当時の図面を発見 正確な寸法、構造が判明  距離儀は4重式(光39金物4重測距儀)で 黒と思われていた覆函の内側は白く塗られていた 11号31p    学研 大和型戦艦11p

白色塗装の理由 は 写真機のフードとはまったく違うもの   雨,波を避けるため(レンズの前の水滴は巨大な邪魔者になる)覆函(ホウカン)を付けるが 入射光が暗くなってしまう  少しでも明るくするため 内側は白色に塗装した  測距儀に熱を伝えない意味もあった     
 80号35p    

          

15m測距儀は戦闘海域でない場合主砲の指向とは関係なく真横に向けて航行する場合があった 
 35号22p

「カバー」は極秘だった15m距離測儀の構造が寄航・停泊したとき一般の人に見えないようにする機密保持と塩害防止が目的だった   80号35P   20号5p

爆風の影響は この高さになると無視できるという 
 20号5P 

測距儀塔 背面には空気抜の穴が上下2段にあった(これまで リベットと思われていた)  

距離儀付け根の断面5角形の筒は距離儀を支えるサポートのカバー下はオープンである 

 距離儀塔背面にある ダビットのようなアングル材は
21号電探装備のための補強材      20号5p

  98式方位盤図面  
13号24p  35号23p  98式方位盤潜望鏡部 詳細図  35号25p    15m測距儀 写真    学研11 p71         イラスト 学研11 p82〜p83


出入り口扉

日本海軍艦艇の出入り口扉は従来すべて艦首側に蝶番がある(自動車のように進行方向に)といわれていたが 船尾側に蝶番のあるものがある (武蔵の記念写真)     24号13p

大和の主砲塔背面には傾斜がある 
傾斜面にドア式を取り付けるのは困難    86号23p      異論もある  88号27p

ジャッキステー


ジャッキステーの用途は
天幕を張るもの 掃除その他の作業用 の2種類がある    ジャッキステーの止め金具は6種類以上ある    21号23p


ラッタル


角度が急なところ及び直角のところのラッタルは 
側板は平板で踏み段は丸棒 傾斜のあるところは踏み段が軽目孔板のもの また 側板の平板に小判型の軽目孔のあるもの の3種類がある   21号23p


機銃座サポート


従来単なる立錐型半裁で作られていたが前面部にカット平面が確認された 武蔵との相違点でもある  83号29P




主砲射撃指揮所 (98式方位盤照準装置改1
  旗艦であった時代に白く塗られていた部分    13号24p     イラスト 35号23p    
 
15m測距儀塔の上にある円形の覆塔 後檣直後にある10m測距儀塔上にある円形の覆塔はいずれも98式方位盤を内蔵し上部は潜望鏡式になっている 

外見的には潜望鏡とラジオビーコン、20キロ信号灯、 避雷針、手摺と一風変わった出窓がある    35号22p 

従来から云われたヒートシンク状の屋根の形は工事中の骨組みである
 (ニチモの1/200は誤り)  77号33p

この覆塔は固定されており15m測距儀の回転と同期していない
(有名な画家でも間違を描いている) 「軍艦の模型」(泉 江三著)にも同じ記述がある   直径は3mであった  35号22p

潜望鏡は戦闘に入れば15m測距測儀と同方向を指向する
    
35号22p

外観上は小判型の潜望鏡のような指揮官用望遠鏡2 旋回望遠鏡 俯仰望遠鏡 横動揺望遠鏡が見られる        主砲射撃指揮所図面  13号24p   

 「間違い」を描いた某雑誌の表紙


煙突

詳細図面の発見で 煙路が気缶ごとの隔壁上部まであり内部は12区画に分かれ 隔壁の内側には清掃用と思われる梯子がついていた 上部には大きな整流板が2枚ある  19号22p       煙突上面図      84号21p

整流板の基部には(根元)雨樋がある 防熱板上部の帽子のような庇の先端にも雨樋が回っている    この庇の裏側にはサポートが36枚入っている  19号22p

従来通説になっていた「艦橋下部背面兵員待機所上部の踊り場から煙突まで平行して長い通路が渡り廊下のようにあった」という点は公式図で否定された    19号23p

煙突中段にある回廊が丸型か角型は不明 蒸気捨て管も立ち上がり防熱塔より庇上部まで二重パイプになっている
     防熱筒に入る上部に大きな庇が全周にあるが なぜか前部が肉厚になっている       
 

蒸気捨て管が外に出ているのは どの缶室の圧力が高いか艦橋より眺めてすぐ分かるため福井静夫説)     85号25P   85号25p     

  
煙突の図面   19号22p〜27p



船尾飛行機作業甲板
         

「大和」の後部飛行甲板は防水コンクリート張りであった 77号31p   最近では 亜鉛メッキ鋼板 という考証もある 艦船模型スペシャル モデルアート NO71  

夜間通行帯と思われる白線が左右にある
(普通のコンクリートは吸湿性があり甲板材としては好ましくないので 防水コンクリートか 表面に防水加工を してあるのであろう)  


写真を分析すると「夜間通行帯」は リノリュウムが張られていたように見える

飛行甲板は鉄製で滑りやすかったので歩行用の通路がつけられた という記述もある      双葉社 大和型戦艦 p68     木甲板と飛行甲板の境目には 高さ約20cmくらいの衝立のような仕切り(コーミング)がある    学研 大和型戦艦2 19p

この帯線は直線ではなく第3砲塔のあたりでわずかに
内側に傾斜している   戦艦大和武蔵 不二模型美術 98p

すべり止め甲板


船首甲板 船尾甲板その他の場所にもすべり止め甲板がある 旧海軍の規格では 200mmの長さで直径20mmの丸棒を溶接する とあるが 丸棒でなく短冊状の鉄板を溶接したものも多い 

工事現場などのすべり止め鉄板とは異質のもので 
歩くのに滑らないのでなく 作業のとき足を踏ん張るものである    
34号26p


後檣

従来のものと一変し マストが傾斜しているのは 艦橋ヤードとの距離を少しでも離して無線能力を向上させるため    80号31p   

三脚柱は鋼管パイプその上の3本の櫓は木製で一部に鉄製の輪が巻きつけられている(3本の櫓が金属なら梯子でなくラッタルになっているはず 梯子であれば木製の証拠)  
当時 先細パイプ(テーパーつきパイプ)の工作技術は存在しない という      39号11p

写真判断から2本後1本と確認   
実際の工事の事を考えると 前2 後1でなければ作れない 88号29P    前2本はデッキ貫通 後ろ1本はデッキ止まりで センターガーダ‐と直結されていた

造船学上センターガーダーを切断することはありえない    14号25p


     

60cm信号探照灯

踊り場の信号探照灯は主力艦の戦時編成航海は必ず左右に随艦があり左右同時通信することから2基と推定した   4号21P     88号29p        後檣 詳細図 14号21P

探照灯を2基置くには踊り場スペースが狭く(直径2m)大和に搭載された60cm探照灯の数は5基の記録があるので 2基説は成り立たない という記述もある     22号20p

後部に飛び出した 3角ステーの下側に補強材が取り付けられていた(武蔵は上側)    学研 大和型戦艦2 30p

沖縄特攻出撃時には 煙突に菊水のマークを白色でペイントし マストには「非利法権天」(ひりほうけんてん)・・・楠正成が大江時親に兵法を学んだとき教えられた  
非道は道理に克(勝)たず 理は法律に克たず 法は権力に克たず 権力は天道に克たず 天に勝るものなし とされる・・・ の
幟を揚げた    14号25p


スクリューブラケット

従来はY字形で作られていたが 大和はV字型であることが判明  84号21P


推進器

  スクリュー直径は5m3翼4軸 ピッチ4800mm ピッチ比0.960 面積 全円196350    32号39p       83号40p

直径6m説(松本喜太郎)があるがプロペラメーカーの技術者の話では 
回転数が225rpmならば5mが限界でこれ以上ではキャビテーションを起こす という 68号20p 32号33p  推進器の図面  68号23p       


艦尾


艦尾形状はクルーザー・スターンに近いもので ただ後端面は水線上で平坦面を有する これは本艦の計画時 ハイン・マットと称するドイツ製の水上機揚収装置(航海中)を装備する予定
があったためで水上機母艦の神威、瑞穂などに装着された結果が思わしくなく 大和では中止したがマット・リール取り付けのための平坦部はそのまま残された という    
軍艦メカ1 136P

船尾の形状がカットオブスターン
であったという判断は大和 研究の第一人者 坂上 隆氏による         88号26P

艦尾に金色に輝く
艦名板はない(大和 武蔵の両艦は秘密保護のため 一度も艦名板を輝かせることなく沈んだ   戦艦大和武蔵  不二模型美術  100p

       


ジブクレーン


筆者(河井登喜夫)は 石川島播磨重工で当時の設計図を発見し 旋回半径は300°          クレーンの図面    12号30p〜36p     14号30p〜33p


大和の竜骨は2本あった 重量物を支えるクレーンやキャプスタンは竜骨上に固定された このためジブクレーンはわずかに右舷寄りに取り付けられている 39号23p  77号32p 88号29P 

沖縄特攻直前に後部空中線とともに撤去されたという が アメリカ偵察機による航空写真には取り付けられていた映像が記録されているという   双葉社 戦艦大和と沖縄特攻

ジブクレーン の「俯仰用モーター」(旋回半径300度)や「捲揚用モーター」は40馬力 DC220V 直流低速モーターが使われた  12号35p

ジブクレーンの詳細 図面  
14号32P   12号30p


船尾の機銃座

8角形の可能性がある   甲板より一段高いところにあるため 弾薬箱設置余席?の関係からという      学研 大和型戦艦2 91p

08-5-2  東京書芸館の 1/144 新聞広告では 四角形 であることが 潜水調査で確認された とある


船体後部側面(第4副砲塔付近の両舷)の大型通風孔

窓の数は左舷5ヶ 右舷6ヶ  88号26P   34号37p   筆者が生写真を東海大学の技術センターにコンピュータ解析を依頼し「角型」と確定した  53号39p  77号24p、26p 88号26p  

筆者(河井氏)が大和の設計責任者だった牧野茂氏に尋ねたが「記憶にない」との ことであった  53号39p

この大型角窓内火艇格納庫側面換気口であり 奥に大型換気扇が取り付けられていた ことが判明    88号26 

角窓は四隅に応力がかかり ひび割れ を起こすことがある  旅客機の窓が丸窓なのは応力割れを避けるため


汚水捨て管

左舷 右舷で数が違い 断面が四角なのか半円形なのか不明だが半円形の可能性が高い      51号51p  55号8p  39号21p


船底色

福井静夫説によると昭和16年以降の新造艦の船底は従来の赤茶色でなく緑色に塗られた という  77号24p

「緑」の艦底塗料は毒性が強く軍港内の魚に影響が出るほどの 公害物質であったため海軍は極秘扱いにしていたという
     学研 J大和型戦艦 p110   52号39p     51号39p

「信濃」の出港時の喫水線下が「緑」だった との目撃証言がある一方 「緑色ではなかった」という証言もある(ドックから離れる時 球形船首がドックのコンクリート壁と衝突する事故があった  壁を見た現場の作業者が「赤い」塗料だったといっていた)  
  学研 22 空母大鳳・信濃 p162   

大和の潜水調査のVTR画像では 色は確認できない?という が この塗料は 有毒成分を海中に溶け出させることで 貝の付着を防ぐという ものだったので 数年で塗り替えが必要だった
   70年を過ぎた水中で
は すべて剥げ落ち(溶け出し)ている可能性がある
 

人間の色彩感覚ほど当てにならないものは無く この点は大学の心理学教授が明言している(河合氏談)
     51号39p


注排水弁位置

大和の艦底を示す資料はなく 注排水弁の位置はすべて推定 他艦の状況から大和もこのようであったと思われる    92号27P


ボラード

      

武蔵は 波きり板両側のボラードの柱を通風筒と兼用していた  耐爆風の考慮からとされる 
 軍艦メカ1 47P     大和も同様で「海底の大和」の映像で紹介されている     36号33p


25mm 機銃のシールド

最終状態の3連装機銃は50基(150門) 単装機銃10基 その機銃座のうち24基は爆風対策のシールドが付けられていた シールドなしは26基、(シールドが必要でなかったのではなく製造が間に合わなかったため)  13号17p

舷側に並ぶ5基の機銃シールドのうち 3基(両舷で6基)は戦時応急で形状が違い ジャッキステーもない

2016の潜水調査で これまで搭載されていなかったとされる 25mm連装機銃が発見されている 設置場所が どこであったのかは不明  (マイウエームック 戦艦大和の最後 P93)

機銃シールドの図面  
(図面では後面の出入口がドア式になっているが その後のリサーチで引き戸式だったと考えられる) 13号16p   


機銃シールドは回転するので ドア式だと回転位置によっては緊急脱出が困難になる ためと推定する      13号17p      77号23p

従来の考証では機銃に防弾楯の付いたものがなかったが 福井静夫氏の証言では 搭載されていた という    28号25p


カタパルト 
1式2号11型が装備される予定だったが 従来どおり呉式2号5型が装備された

    

カタパルトが両舷にある場合(大和に限らず重巡にも言える)左右に違いがある    

側面アングルの回転中心部付近に小判型の「ぬき」があるが これは内部点検用と考えられる それが舷側に装備された場合 内側のみにあり舷外の そこはアングル材だけである    39号12p 

航海時カタパルトを進行方向に固定していたのか 後方に向けて固定されていたのかは不明

艦載機の射出時は火薬を使用した



高射装置


大和は最終時に94式高射装置を4基装備 
1基あたり連装高射砲3基を受け持っていた   新造時のものは爆風楯を測距儀内に持ち主砲射撃時に対処した    14号18p

筆者が日本光学で資料の提供を受けた94式高射機の平面図   
 14号18P

照準望遠鏡が4基 高射機全体は防振台上に装備  旋回は5馬力のモーターを使用し油圧変速装置を介して覆塔もろとも旋回する方式    操作人員は指揮官1、眼鏡照準手4、測手1、等分距離発信手1、伝令1、助手1

高射装置は照準装置と計算装置に分けられていて 
照準は94式高射装置高射機 計算は94式高射装置高射射撃盤と命名されていた 
 
高射機には測距儀と照準望遠鏡が取り付けられ 距離、仰角、方向角、縦動揺 を射撃盤に送る  射撃盤では各種の修正を加え上下見越角と左右見越角を算出し高射機に送り砲側に伝える

94式高射装置は昭和12年5月に日本光学で試作機を完成 終戦までに80台を生産した(18年から光海軍工廠でも約10を生産)


後部艦橋

平面図    31号30P


探照灯 


大和の新造時は8基 これは旧式な発想ながら夜戦に重点をおいたもの   13号25p

第一次改装時には6基 最終改装時には4基となった    13号25p
      

 
大和には新造時8基の探照灯が装備されていた 従来の戦艦に装備されていた110cmより大きい150cmで大和、武蔵専用であった       33号30p

最終的には4基(6基の説もある)とされたが レーダーの時代に入ってからは無用の長物であった 大和が実戦で上空照射をやったことは皆無と考えられる
      33号30p   13号26p

強烈な光を出す光源はアーク灯(200V 300A  直流発電機)でこの探照灯を使っての最大射撃距離は12000m    

光を出したり止めたりするシャッター(遮光板)はカメラの「絞り」と同じ構造のアイリス式        探照灯管制装置(ワードレオナード方式とセルシンモーター)により2基の探照灯を制御した

探照灯の図面 13号26p


舷窓 

 「大和」の新造時の「舷窓」は総計396 左舷200右舷196 戦時改装で塞がれたもの左舷166右舷154     34号37p

舷窓の直径は
長官室、長官公室、参謀長室、艦長公室は400mmφ  これ以外は350mmφ  便所、倉庫などは250mmφ〜200mmφ と定められていた  

戦争が激化すると 舷窓は必要最小限なものを除き盲蓋をかぶせ 船体を補強した


  搭載艇

9mカッター(45人乗り68号36p)と6m内火艇    

9mカッタ‐は実に多彩な品々を乗せている 最大の物は 帆 でありオール(12名で漕ぐ)である  腰掛けの3番目の所と帆柱を立てる穴のある冶具がある    

漕ぎ手座は12人分あり艇尾腰掛は短艇指揮と艇長用である 5,6番漕ぎ手座には帆走時にマストをたてるためのクランプがある    68号36p

内火艇は大正2年「金剛」に搭載されて以来 改良されておらずビルジキールはなく 艦底色も塗られていなかった   海軍7不思議といわれた      学研 大和型戦艦 142P

内火艇の読み:海軍辞典では ウチビテイ だが 大和の乗組員に直接聞いた話では ナイカテイ と呼んだ ミッドウエー出撃時には内火艇を降ろし 「空いたスペースを兵員室にした」とお聞きしました  




11メートル長官艇 

                   詳細図面と線図     17号20P



軍艦旗

「旭」を表わした この旗は海上にあってよく目立つ優れたデザイン    

軍艦旗の制式 
19号29p

軍艦旗は 縦二横三の白旗布の中心より 風上に水平に移動すること 縦の六分の一の点に、縦の二分の一を直径とする 赤色の日章を描く。 
光線は赤にして中心点より 垂直線及水平線を中心を合わせる光線を基本とし 各光線の幅及び間隔を 各十一度四分の一に取り放射状に描く  と規定されている        
軍艦の模型 泉江三著 322p


旗竿

艦首の旗竿は艦首旗(日章旗)用 この旗は停泊時に揚げた   艦尾は軍艦旗用で停泊中は午前8時から日没まで 航海中は昼夜を問わず常時揚げていた  19号28p    61号9p

「合戦準備」が令されると 艦首と艦尾の旗竿は倒され
軍艦旗は後檣に揚げられ その旗を戦闘旗と呼んだ  19号28p         旗竿図面 19号30p〜31p


艦載機

艦載機の目的は敵艦隊の動向を探る遠距離偵察(3座水偵) と 自艦の射撃した弾丸が的確に命中したかその成果を見定める観測機(複座水偵)があった 

戦艦には弾着観測用、巡洋艦には遠距離偵察用を搭載することにしていた 大和型は観測機4 遠距離偵察機3 の合計7機
を計画していたが実戦で使われることはなかった   
 学研大和型戦艦2   15号34p

飛行甲板側面に25mm連装機銃を4基増設後 3座水偵だと主翼やフロートが接触し 寸法上乗せられないが 3座水偵は格納庫から直接カタパルトに乗せ発進させた という説もある     
28号18p

沖縄出撃時 2機の艦載機(機種不明)を途中より内地に帰したという 記録がある     
 28号18p

公式上部平面図を見ると3座水偵の記載がなく 零式観測機が3機書かれているのみ  
 軍艦の模型 122p

水偵が帰還する時 自艦は洋上で大きく旋回する この内側の波は静かな波となり(航跡静波)ここに水偵は着水しクレーンで収容される  

戦時では自艦が大きく旋回することなど 不可能で搭乗員ごと見捨てる事が常だった  

不時着水した艦載機の搭乗員を救出することを「とんぼつり」といい 小回りの効く 随伴の駆逐艦の仕事だったという

艦載機と艦上機の違いの説明はこちら 1/32 木製の飛行機



保存会 1/200大和図面の修正 39号8p