蓼科山の周遊コース ’92夏
八ヶ岳の北に位置する蓼科山は、諏訪富士などとも呼ばれる端正な姿の独立峰です。私がこの山を訪れたのは1992年の夏のことでした。その模様を振り返ってみます。(1999年12月10日記述)
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登山口に選んだのは、蓼科山の西側山麓にある女神茶屋でした。お店の人に断ってクルマを置かせていただいた上で、その向かいにある登山道にかかります。地図を見ると山頂まで一直線に伸びる直登ルートです。しかし実際には途中に2回のたるみがあり、蓼科山が三層の火山であるということがわかります。途中にはヤナギランが咲き乱れるお花畑などもありましたが、ほとんどは樹林帯の中をひたすら登ることになります。
樹林帯の中の登り道→ |
やがてゴロゴロした岩場が現れ、突然上空が開けます。これが山頂部だとすぐに気がつきました。この火山の最新の火口の縁でもあります。山頂はやや広い窪地になっており、まさに火口の中であることがわかります。中央部には祠が祭られています。あいにくガスに見舞われており回りの景色は見られませんでしたが、何も遮るもののない好展望地であることが想像できます。どこかの中学生が集団登山で訪れておりにぎやかでした。
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ときおりガスが切れるときがあり、東の山麓や八ヶ岳方面が見られます。蓼科山から八ヶ岳にかけては、深い森が広がっていることがよくわかります。北八ヶ岳特有の縞枯れ模様も見られます。
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山頂から東側に下ります。しばらくすると蓼科山荘という山小屋のある将軍平というところに着きます。その前が広場になっていましたので昼食をとりました。そこからは、南側に下る分岐を行きます。石のゴロゴロした足場の悪い道が続き、はほとんど人には出会いませんでした。やがて天祥寺原と呼ばれる平地に到着しますが、ここは樹林も切れ、花なども咲いており別天地のようでした。
将軍平から山頂方面を見る 天祥寺原から蓼科山を見る→ |
ここからは、沢に沿ったルートで竜源橋に向かうのですが、あまり利用されないルートなのか、草や笹が生い茂っていて、それをかき分けていくような道でした。車道に出るとそこが竜源橋です。あとは車道沿いに女神茶屋まで戻りました。茶屋で一服させていただいた後、クルマでプール平までいって温泉に浸かって帰りました。
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蓼科山を訪れる多くの人は、東側の大河原峠から登るようです。このとき遭遇した集団の中学生たちもそのようでした。この七年前において私が利用した西側からのルートや天祥寺原のルートは、比較的利用者が少ないようでした。しかしいまや百名山ブームでして、深田久弥はこの蓼科山もそのひとつに選定しており、静かなルートとは言えなくなっているかもしれません。あのとき女神茶屋では快く駐車させてくださいましたが、今ではそうはいかないだろうなと思います。(終わり)